2月1日(月)「1年で最も短く感じる月・・・の風さん」
1年で最も長く感じる1月が昨日で終わって、1年で最も短く感じる(実際に日数も少ないが)2月が始まった。
目の前にやるべきことが高く大きくたくさん立ちはだかっていて、先が見えない……けど、幸福が待っているに決まっていると信じている。
例年この時期なのだが、勤務先の製作所で初午祭があった。出社するまで忘れていて、しまったと思った(気付いていれば電池式カイロを持ってきた)が、入口でパック入りの携帯カイロをもらえた。
風はなかったが、今にも氷雨が降ってきそうな空模様で、とても寒かった。上が下着と作業着だけという「年寄りの冷や水」ルックで、ポケットの携帯カイロの効果はほとんどなかった。神事の後の直会(なおらい)でいただいたお神酒の効果も全くなかった。
定時でさっと退社して帰宅した。明日の夜のゼミのために、しっかり準備をする必要があった。
今夜も徹夜になるかもしれない。徹夜が増えれば、長い月に感じられるだろう……んなバカな。
2月2日(火)「アプリルが壊れた・・・の風さん」
昨夜は学位論文の第4章を何とか更新させたかった。グラフの貼り替えでまたてこずった。エクセルで作成したグラフを見やすくしようとしたのだが、同僚が作ったグラフを改造できず、いたずらに時間ばかりが経過した。
午前零時前にグラフの修正を断念し、コーヒーを飲んだ後、再度ねじり鉢巻で本文の作成に挑戦した。
就寝は今朝の4時半である。半徹夜。
奇跡的に目覚ましで起きて、会社にも間に合った(笑)。
夕方少し早く退社し、ゼミに出発した。
貧乏作家だが、久しぶりに「時は金なり」のおまじないを信じて、知多半島道路と名古屋高速を利用した。
ゼミは、私の前に中国人留学生が指導を受けている真っ最中だったので、隣室で待機した。
持参したアプリルを開いて文章の見直しをしているうちに、先生が呼びに来た。
急いでアプリルなどをカバンに詰めてゼミ室へ移動し、再びアプリルを開いたら(ここまでシャットダウンとかはしていなかった)、液晶ディスプレイの画面右半分が土砂降り状態に……つまり壊れていた!
それほど大きな力がかかったわけでもないのに、これは一体どうしたことか。
きっと壊れやすい商品を買ってしまったのだろう。保証期間内に発見できたのが幸運と思って、修理に出すしかない。
ゼミは1時間で終わって、また、高速と有料道路をミッシェルで快調に走って帰宅した。
今夜は、雑務の一つ、画像データを使わせてもらった母校の附属図書館へ掲載雑誌と寄贈書籍を送る準備をした。少しずつでも積み木崩ししていかないと精神衛生上よくないのだ。
2月3日(水)「今日も何やってんだか・・・の風さん」
出勤途中でコンビニに寄って、昨夜準備したエクスパック500を投函した。会社に着いて、ミッシェルに後付けの電波時計の電池を交換したが、何の手応えもなかった。このリチウム電池は何のための電池なのだろう?
定時でさっさと退社した。空が明るかったのでうれしかった。確実に日が長くなっている。
ガソリンスタンドのセルフで灯油を購入し、カーマに寄って買い物をした。学位論文をファイリングする紙ファイルである。ついでに書棚もチェックした。書斎を大改造するために必要だ。
帰宅してすぐカスタマーセンターへ電話し、壊れたPCの修理を依頼した。業者が引き取りに来てくれるのだが、なかなか時間が合わず、日曜日の昼過ぎになってしまった。今月一杯はアプリルなしかも。
次女が帰宅し、滑り止めの受検結果が判明した。合格は分かっていたが、特待生になっているかどうかがポイントだった。難関は承知の上だが、期待していた。
しかし、結果は駄目だった。見る眼がない大学だ(怒)。国公立、頑張れー。
会社で作成した画像を学位論文に貼り込んで、少し文章を書いた。しかし、就寝は午前2時になってしまった。
死ぬのが先か、学位取得が先か、だんだん危なくなってきた。
アプリルがドック入りするのが決まったので、アシュレイを復活させることにした。
昨年9月以来アップデートしていなかったので、ウィンドウズのアップデートだけでも44個もあった!
2月4日(木)「今夜も何やってんだか・・・の風さん」
何とか必死に今日も起床した。
体力的に限界に来ているのは間違いない……が、同僚の気配りで、仕事の負荷を軽減してくれている。ありがたい。死なずに、学位論文を仕上げねば。
土曜日のゼミの作戦を立て、大学の事務の担当へメールであれこれとお願いした。何とか学位論文の改訂版を作成して、主査、副査の先生方へ届けたいのだ。とりあえず協力体制は整った。あとは私自身が頑張れるか、である。
正社員登用された元期間従業員(夫婦)に、拙著をプレゼントした。売ってほしいと言われたが辞退した。立派に目標を達成したのだから、私もうれしかったのである。
会社でぶっ倒れないうちに退社した。今日こそ早く寝て体を休めねば。
帰りにコンビニでエクスパック500を購入した。次の準備も忘れてはならない。
帰宅してすぐ書斎で作業に入ったら、ワイフが紅茶と柔らかなパンを持って来てくれた。夕食前だったが、受験生を励ますような意味もあったのだろう。
アシュレイの復活の第二弾である。デフラグをかけてから、不要なプログラムをいくつか削除し、エラーチェックをした。これで、ほとんど復活したと言える。
今夜も会社で作成した画像を学位論文に貼り付けたが、そこまででもうへろへろだった。
ぼけた頭でもできることはないか、と考えて、昨年購入した図書費用を計算してみた。もうすぐ確定申告だ。
2月5日(金)「いよいよ大詰め・・・の風さん」
今日の会社は忙しいことが最初から分かっていたので、覚悟を決めて出社した。
そして、実際、忙しかった。
今夜は職場の飲み会だったが、依然としてピンチの私は、申し訳ないが、カンパを出して欠席させてもらった。
定時後、職場に残った最後の一人になってしまった。寒さがこたえた。
ミッシェルに給油してから帰宅した。
夕食後、やっと自分の年賀状のお年玉当選チェックをした。番号の確認は容易なのだが、あの厚い紙の仕分けというか分離が難しい。イライラしてくる。
約200通あっても、切手シートが1つ当っていただけだった。昨年は恐ろしいことにゼロだったから、とりあえず「よし」としよう。
書斎に入って、論文に取り組もうと執筆マシンに向かった。
猛烈に体がだるくなってきた。椅子から降りて、石油温風ヒーターの前に寝そべると、海の底に沈んでいくような開放感があって、1時間だけ仮眠した。爆睡にならなかったのは、やけに寒かったからだ。
明日のゼミまでにほぼ完成させられるだろうか。
2月6日(土)「またまた徹夜明け・・・の風さん」
今朝の3時半に、やっと全体構成を【要約】としてまとめることができたので、また1時間だけ浅い仮眠をした。爆睡にならなかったのは、ますます冷え込んでいたからだ。
頭はボケていて能率は著しく低下している。
体が何とか持ちこたえている間は、根気だけが頼りだ。
午前8時に、空腹を感じたので、階下へ降りて、シャワーを浴びてから朝食を、と思ったら、ワイフが、
「雪が降っているよ」
見ると、外が真っ白! 数センチ積もっている! そして、今もしんしんと降り続いているではないか!
「電車が止まる……」
「ゼミ、行くの、やめたら?」
あっさり言われてしまった。そういうわけにはいかない。
「絶対行く」
シャワー、朝食後、また執筆マシンへ向かった。
時間はどんどん経過していくが、やることが次々に出てくる。
午前11時半、ゼミで完成させることを断念した。月曜日に、また自分で八草へ論文を持って行くことにした。
早速印刷スタート。その間に、ゼミに出かける準備。
昼食の焼きうどんを3分で平らげて、ワイフのクルマで駅まで送ってもらった。
行きの電車で仮眠するつもりだったが、知人と乗り合わせてしまい、名古屋駅まで歓談(笑)。
ゼミが終わったのは午後5時半だった。
帰りの電車でもほとんど眠れなかったのは、興奮状態にあるのかも。
学位論文の公聴会は、水曜日の夜。いよいよ大詰めだ。
今夜は、早めに寝よう。
2月7日(日)「また泥沼へ・・・の風さん」
さすがに昨夜はベッドの中での読書が辛かった〜(^_^)。
9時間のたっぷり睡眠で元気よく起床した。
空は快晴で、雪は降っていなかった(笑)。
朝食後、近所のDIYショップに印刷用紙を買いに行き、ついでに書棚のチェックもした。何とか早く書斎のビフォアアフターを決行したい。
書斎の石油温風ヒータに灯油を入れていて、ドジを踏んでしまった。電動ポンプが自動で停止したことに気付かず、電池切れと錯覚して、手動ポンプで入れたら、あふれ出した……。
学位論文を仕上げるのが今日の最大のテーマだが、先ず最初に、明日持参する論文につける主査や副査の先生へのお手紙を書いた。私らしいオリジナルなお手紙である。
昼食後、草稿の時に書いて以来手をつけていなかった「謝辞」に取り組んだ。これが最後の本番と思って力を入れたら、どんどん時間が経過して、あっという間に夕方になってしまった。これだから、いつまでたっても完成しないのだ。
昨日のゼミで大野先生から指摘されたところを先に修正することにした。
夕食後もそれに没頭した。
こうして、どんどん時間が経過して、午前零時過ぎ、階下へ降りてワイフへひと言。
「いつ寝られるか全く分からない」
2月8日(月)「また徹夜・・・の風さん」
印刷を開始したのは今朝の何時ごろだったろう?
とにかく400枚近い印刷を終えたのは、午前6時だった。もちろんそれまで一睡もしていない。
並行してファイリングもやってきたので、印刷が終了してまもなく、今日の準備ができたことになる。
論文はまだ完成ではない。重要なデータにつける考察が、まだ自信がないのである。
時間はあまりないが、いつものように石油温風ヒーターの前でごろりと横になった。
爆睡寸前……。
1時間後に奇跡的に目が覚めた。
出社し、朝の会議に出た後、外出の許可を得てミッシェルで八草キャンパスへ出かけた。
1時間しか寝ていない割りに元気である。
ところが、途中で渋滞にはまってしまい、大きく迂回したら知らない道に迷い込んでしまった。もちろんナビはセットしたのだが、すぐに大きな道に出ると渋滞にはまってしまう。できるだけ田舎道を選んで走ろうとした。
……と、一方通行の小道から、国道のような広い道に出た。
その道を、私は片側1車線の道路と勘違いして走り出したのだが、何と、片側2車線の道路を逆行していたのだ!
前方に、信号待ちで、こちらに前面を向けているクルマに気が付いた!
(やっべぇー)
大慌てでUターンした。
昼前に大学へ学位論文3つを届けることができた。
事務の女性から本当に心配されてしまった。論文の中身ではない。無理をしている私の体のことだ。
あと少し頑張れば、死なずに卒業できそうだ。
すぐに会社へとんぼ返りした。昼食はコンビニのパン。美味かった〜(^_^)。
午後はしっかり仕事した。眠かったが。
2月9日(火)「やっとデータが完成・・・の風さん」
昨夜は、実に9時間もの睡眠をとってしまった。
よく「大丈夫? あまり無理しないように」といたわりの言葉をかけられるが、頻繁にダウンするだけでなく、こうして昏々と眠ってしまうこともよくあるのだから、何とか死なずにいるのだろう。
とは言え、せっかく学位論文の最新版を公聴会の前に届けることができても、発表スライドができていない上に、貴重な1日を何もせずに(スライド作成に関しては)過ごしてしまったのは事実である。
しかししかし、まだ計算結果についての問題が残っていた。
出社し、計算を担当してくれている同僚と、継続して検討に入った。
昨日立てた方針は間違いなく、雑音が目立たないグラフができていたが(同僚が私が眠っている間に自宅で完成させてくれた!)、今度は、得られた信号が意図するものと違う挙動を示しているのだ。
今日は花粉が飛散しているらしく、同じ部屋の仲間も体調不良を訴え出している。
私もくしゃみが出て、午前と午後の2回、薬を飲んだがイマイチ不調だった。
そのような中、対策方針を立てたのが午後で、結果が出たのが定時後だった。
結果を持ってようやく帰宅することになったが、家ではスライド作成が待っている。
外へ出ると雨模様で、急に鼻がスッキリした。花粉はすべて地べたに落ちたのだろう。
夕食後、元気よくスライド作成に着手した。
2月10日(水)「激安極上ワイン・・・の風さん」
夕べはまたまた書斎でダウンしてしまった。
しかし、公聴会は今夜6時からなので、何とかなるだろう、と目覚めた時は思っていた。
ところが、昨夜の続きを始めたものの、意外と手間取って時間がかかる。
天気もどんよりしていて、とりあえず花粉症予防で薬の服用とマスクの着用をして、そのせいでもないだろうが、作業効率がきわめて悪い。いつものろいのだから仕方ないとも言えるが、次第に焦りが出てきた。
とうとう昼食を摂る余裕もなくなった。
予定した出発時刻になったが、まだできない。
さらに、先生方以外の聴講者に配布する資料の作成も断念した。
ホットミルクを1杯胃袋へ流し込んでミッシェルに飛び乗った。
ときどき小雨が降る中、ミッシェルを飛ばした。睡眠は十分なはずなので、運転に不安はない。
幸いほとんど渋滞がなかった。途中1ヶ所、田んぼの中に、消防車、救急車さらにドクターヘリまで集まっていて、何やら事故対策をしている周辺だけで、短い渋滞があった。
1時間20分で研究室に到着した。
大野先生に発表スライドのみの配布資料作成を提案すると、すぐに印刷室へ案内してくれた。
片面印刷した原稿から、両面印刷し、さらにホチキスでとめてくれる「ステイプル」機能まである便利な複写機があった。初めて見た。あっという間に完成。
研究室へ戻り、開始10分前までスライドの微調整をやり、
「先生。会場はこのフロアのどちらでしょうか? もう行って準備します」
と宣言したら、全く落ち着き払っていた先生は、
「ここだよ」
とひと言。
「ここ?」
「そう。ここ」
なんと、公聴会は、先生の研究室でおこなわれるという!
開催案内をチェックしたら……間違いなかった(^_^;)。
やがて、副査の先生方や聴講される先生方もみえ、大野先生が、「まあ、紅茶でもどうぞ」と非力な私の発表を側面から強力にサポートする作戦を展開。「これは、どうもごちそうさま。大野先生が主査ですから、さぞかし立派な発表でしょう」という痛い声も聞こえたが、とにかく持ち時間40分の発表が始まった。
小さなスクリーンに映し出された、3年間の研究の大きな成果を、フラフラでゴール寸前までとどり着いた私は、懸命に説明した。予定時間を約5分オーバーしてしまったが、幸い研究室には時間管理のチャイムもなく、みじめな姿を見せずに発表を終えた。
質疑もどちらかと言うとアットホームな感じで進行し、厳粛な儀式は終了した。
「もっと宣伝しても良かったのですよ」
先生のお言葉に従えば、次のような3年間の業績があったのだ。論文掲載5本、国際会議2回を含む学会発表が8回(うち1回は来月の予定)。終わってみれば、私には出来過ぎだったとも言える。
それでも、とにかく終わってホッとした私は先生から紅茶をいただき、感謝の言葉を何度も繰り返しながら、雨の中を大学を後にした。
帰宅し、9時過ぎの遅い夕食時、今年初めてワインを飲んだ。
1本280円の激安ワインが、極上の味に感じられた(笑)。
2月11日(木)「理念の欠如は存在価値なし・・・の風さん」
夕べは今年初めてのワインというだけでなく、たくさん飲んでしまったので、そのままリビングでダウンした(笑)。
目覚めたらもう朝で、出社する準備をするしか時間がなかった。
妙な1日の始まり方をしたが、久しぶりに開放感をおぼえた。追い詰められた感覚がないからだろう。
世話になっている会社の同僚にプレゼントもできたので、さらに気が楽になった。
そして、懸案だった大野先生とビールを飲む会もセットできたので、あとは会社の仕事に専念するだけだった。
午前中に大学へメールを2通送ったのだが、いつもならすぐ来る返信がないので、夕方になって、今日が祭日なのに気が付いた。相変わらず浮世離れしているなと苦笑い。
しかし、決して象牙の塔に埋没していたわけではない。昨今世間を騒がせている事件は知っている。
過激なコメントを書くと身の危険の恐れがあるが、バカ正直なので、敢えて書く。
いくら合法的でも好感がもてないね、あの政治家は。しかも、人徳や志、日本のためを思って行動している感じがしない。単なる事業家だろう。しかも、お金をぐるぐる回して権力を得るだけ。
技術的なことはともかく、顧客視点のない経営者の態度は、上述の人物と似たり寄ったりだ。自分たちの上に顧客がいることを完全に失念している。上が政治理念の欠如なら、下は経営理念の欠如である。
週1回恒例の灯油を購入して帰宅。
またまた楠木誠一郎さんの新刊が届いていた。帝都<少年少女>探偵団ノートシリーズの第10弾『時空(とき)からの使者』(ポプラ社)である。よくこれだけ続くものだと驚くが、単なるタイムスリップ物ではなく、歴史に強い楠木さんの本領発揮で、学校ではしっかり教えてくれない歴史上の人物が現代によみがえって活躍するのだ。これは知らないうちに情操教育にもなるスグレモノ小説なのである。理念のある小説は多くの読者から支持される。
夕食後は、たまっていたメールを送信するだけで終わってしまった。やっぱりまだ疲れているらしい(笑)。
2月12日(金)「東善寺小栗まつりに行きましょう・・・の風さん」
来週また資格試験を受ける。その準備が当面の課題だが、なかなか加速しない。
会社の空いている時間に少しでも勉強を、と思うのだが、なかなか問屋は卸してくれない。
今日初めて学位論文贈呈先を考えてみた。何せ気前の良いことでは生粋の江戸っ子と言ってもいい。他人様にモノを上げることで無上の喜びを感じる人なので、リストがどんどん埋まっていく。すぐに筆が止まった。
よく考えるまでもなく、私が現在ど貧乏のどん底である。卒業したら執筆に専念し、少しは活動資金を稼がないと、あらゆることで破綻する(大袈裟な)。なので、学位論文の製本代には出せる資金に限界があるのだ。
そこでふと思いついた。
学位論文は白黒で印刷するが、デジタルデータならカラーもできる。できるだけカラー画像を入れたデジタル学位論文を別に作って、CDやUSBメモリに保存して贈呈するのだ。もしかすると、製本されたものより喜ぶ人もいるかもしれない。
今日は灯油でなく、ミッシェルに給油して帰宅した。週に2回も大学へ行くと、燃料ゲージはE近くまで下がる。
東善寺の村上泰賢師から、今年の「小栗まつり」にぜひ来てほしいとメールがあった。遣米使節派遣から150年の記念すべき年なのだから、昨年から行くつもりだった。しかも、昨年は2度軽井沢方面へミッシェルでドライブし、クルマで往復できることも確認していた。
行けばパネルディスカッションのパネラーもやらせてもらえるとのことで、これも楽しみである。
5月22−23日のウィークエンド、多くの人たちが集まるように、私も宣伝しよう。
今夜は、ほんのちょっぴり勉強ができた。
2月13日(土)「仲間の公聴会を聴講・・・の風さん」
同じ研究科に属する2名の公聴会が、10時から本山で開催されるので、聴講のため家を出た。
最寄りの駅まで徒歩で向かう途中、長い下り坂があって、伊勢湾が遠望できる。天気の好い日で、空気が澄んでいれば、三重県の方まで見渡せる。今日がまさにそういう日だった。
風もなく穏やかな陽気の中、くったくなく歩を進めていると、春の匂いがしてきた。特に何々の匂いと特定できないが、春を感じる匂いだ。
行きの電車の中では、来週の試験のための勉強をした。
最初の発表は、地方公務員の方で、修士から入学しているので、5年間の集大成の発表だった。公会計の話で、企業会計との違いが勉強になった。国際情勢の影響で、何十年もかかって企業会計と同レベルになってきているのだ。最も進んでいるのが東京都モデルというもので、石原都知事が誕生してから取り組まれているそうだ。予算重視から決算重視、地方公共団体が所有する資産の見える化、そしてコスト意識だろうか。最近、大阪府でも同じ動きが出ていて、大阪府モデルと呼ばれるらしい。橋下知事が誕生したことがきっかけらしい。改革は、過激なリーダーの下で、やっと進む。
二人目はIT関連の中小企業を営む社長さんである。社長だからと言って老人ではない。私よりずっと若い。ものすごいバイタリティのある社長さんで、論文発表も、国内外での発表も非常に多い。リーマンショックも何とか乗り切ってきているそうで、頭が下がる。
社会人が実際に扱っているテーマを研究して発表したものは、やはり迫力がある。大学での学問も、立派に応用が効くことを証明しているのだ。
私は水曜日に公聴会が終わっているので、今日はリラックスしていた。それでも、コメントを求められたので、社会人としての立場で少しだけ発言させてもらった。
今日は、県図書に本を借りに行こうと思ったが、帰りがやや遅くなったので断念し、まっすぐ帰った。
2月14日(日)「久しぶりの京都・・・の風さん」
最寄りの駅で7時28分発の電車に乗った。
京都駅に着いたのが、9時11分である。中央改札口から出て、コンコースを歩いていると、京都の匂いがしてきた。そう言えば、久しぶりの京都である。会社の仕事や作家業で何度も訪れていたのが、最近はずいぶんとご無沙汰していた。たまに来たので、京都の匂いを感じたのかもしれない。昨日は地元で春の匂いを感じたが、大仕事を終えて、精神的に余裕ができたのだろうか。
京都市バスのD1乗り場から、銀閣寺方面へ向かう100系統、9時20分発のバスに乗ったが、大入り満員だった。日曜だし、絶好の観光日和である。
9時55分に、東天王町のバス停で降りた。
地図を見ながら向かうのは、黒谷金戒光明寺(くろだにこんかいこうみょうじ)である。
広い境内で本堂も大きいし、墓域も広大である。そして、京都の東に位置しているのだが、高台にあって見晴らしがいい。幕末に京都守護職に任じられた会津藩の松平容保(かたもり)が、ここに陣を敷いたのである。目的は京都の治安を守ること。そういう目的にかなった立地条件である。
ここを訪れた一番の目的は、和算家の中根元圭の墓碑を撮影することである。連載に使いたい。
ところが、あまりにも規模の大きいお寺だったので、案内図ぐらいではとても中根元圭の墓など紹介していない。結局、お守りなどを売っているところへ行ったら、光明寺に葬られている人とそのお墓の場所を紹介する本があって、それで確認をした。お寺の東側の小高い丘陵地に展開している墓地の中である。
何段もある石段を使って地元の高校生が全力で駆け上るトレーニングをしていた。
その石段を上って、頂上にある三重塔の裏に回った。雑然と展開する墓石群の中を、運を天に任せて探しながら歩いた。そして、運良く、本当に幸運にも、恐らく子孫の方と思われる織田家の墓域の中に、中根元圭と彦循父子の墓石を発見した。中根一族の墓石は肩を寄せ合うように並んでいる。卒塔婆も建てられ、手厚く、今でも回向している様子がうかがえて感動した。
デジカメで何枚も撮影した。
その後、戊辰戦争で亡くなった会津藩の人たちの墓を詣でた。途中で、思想家、海保青陵(かいほせいりょう)の墓も発見した。
たまたま有料で本殿の内部が公開されていたので、そちらも見学した。
運慶作と言われる文殊菩薩像や、松平容保に新撰組の近藤勇が謁見した広間も見学できた。
午後は、京都大学で日本数学史学会主催の行事があり、上野健爾先生のお話などをうかがった後、貴重な和算書を見学した。先生から真っ先に公聴会が終了したかという質問があり、気にしてもらえていたことで幸せに思った。
貴重書の見学だけでなく、算木の写真を撮影できたのもうれしかった。
見学会の後は、東京へお戻りになる上野先生と一緒にのぞみに乗った。名古屋までの35分間、ずっと話し続けた。
充実した1日だったが、久しぶりに体を動かしたせいか、少々疲れた。
2月15日(月)「頑張っても成果が出ない・・・の風さん」
昨夜無理して遅くまで頑張ったので、今朝、いったん目覚ましで目が覚めたものの、そのすぐ後、目を閉じたらそのまま深い闇の底へ沈んでしまった。家を出る前に会社へ「遅くなるよ」と連絡する羽目に……。
会議の多い1日だった。せっかく睡眠十分で(?)出社したのに、もったいなかった!(おい^^;)
帰宅したら、(家は真っ暗だった……)ネット注文したあった本が届いていた。月末の連載原稿のために必要な本である。土曜日に県図書で借りてこなくてよかった。こういうラッキーなこともたまにはある。
今日は長女が久しぶりに帰省してきたので、サービスしなければならなかった。好きなCDの曲をケータイに入れてあげよう、と提案して挑戦したが、何度やっても長女のケータイをPCソフトが認識せず、ダメだった。原因は不明。自分のケータイには入ってしまったので、変な気分。ちなみにCDは倖田來未の「secret」!(おい^^;)
学位論文にほんの少し手を入れ、日曜日に撮影してきた中根元圭の墓碑の写真を出版社へ送った。今日の成果はこれだけか(^_^;)。
2月16日(火)「なかなか受験準備ができない・・・の風さん」
今日はちゃんとした時間に出社した。
学位論文の計算で協力してくれた同僚に、大学の論文誌と別刷りを上げた。もちろん謝辞にしっかり記録してある。
今日も会議の多い1日だったが、適当にサボりながら、今度の週末の試験準備をした。老化した頭脳にはなかなか厳しい。試練である。
帰宅したら、家は明るかったがワイフはいなかった。名古屋へ帰る長女を駅まで送って行ったらしい。
今年受験の次女と進路について話し合った。何せ、1浪はしたものの、芸大、美大合格は相当に厳しい。
本命受験が近付いているので、本人の気持ちを確認したのだ。
将来は画家を目指すこと、2浪はしたくないこと、滑り止めに受けた私立も気に入っていることが確認できたので、本命受験に全力を尽くすように激励した。
今夜も学位論文にほんの少し手を入れ、絵葉書を1枚書き、大学への研究費申請書を1件書き、重要メールを1通出したのが精一杯で、二日連続で受験準備はできず。
2月17日「今日は長男と話し合い・・・の風さん」
当地は比較的穏やかな気候になっているが、関東地方では雪が降っているらしい。
朝食後に花粉症の予防薬を飲み、昼食後に頚椎症の痛み止めを飲み、帰りに恒例の灯油を買って、147000kmを超えたミッシェルで帰宅した。ミッシェルもいつ壊れるか分からない。お互いに限界が近い。
夕食後、眼精疲労の薬を飲んだ。あと、就寝前に朝鮮人参を飲めば、明日も生きていられるだろう。
気まぐれ日記を更新し、学位論文を今日もほんの少しだけ修正し、大学のアンケートを記入し、重要メールをいくつか出して、いよいよ受験勉強に着手となった。
始めて30分ほどで書斎のドアがノックされた。
長男だった。
大学3年生の長男は進路に悩んでいる。それで、相談に来たのだ。
相談に来てくれたこと自体が、高く評価できるので、真剣に対応した。
書斎には小道具もたくさんある。それらを使いながら、つまり私自身の人生や体験を語りながらのアドバイスである。そうやって、長男がまだまだ若いことや、案外父親(私)のことを知らないことに気が付いた。
今日は亡父の祥月命日である。帰宅してすぐ線香を上げたが、私も長いこと父のことを知らず、と言うか興味も示さずに生きてきた。だから、長男のことを批判はできないのである。
結局、2時間もの話し合いになってしまった。
階下へ降りて、ワイフに前向きの報告ができた。
月曜が長女で、火曜が次女、そして今日は長男の対応ということで、受験勉強が進まない。
就寝前は、朝鮮人参だけでは足りず、生卵を1個とバレンタインチョコを1個摂取した。
2月18日(木)「一難去って……四難目?・・・の風さん」
帰宅してすぐトラブルがあった。
7日に修理に出したアプリルの診断結果の連絡があった。
電話で、窓口からの伝言である。
「亀裂」による破損のため有償修理だというのだ。
その「亀裂」という表現に疑問があって、納得できないと伝えた。
なぜなら、異常が生じた時点で外部的には何も破損していなかったからだ。そもそも、私は落下させたり衝突させたり曲げたりしたわけではない。部屋から部屋へ持って移動した直後に画面に異常が生じたのである。
もし「亀裂」が内部にあったとしたら、どうして外部を破損させずに内部に損傷を与えることができたかが疑問だし、そもそも最初からあった「亀裂」と後で生じた「亀裂」を区別できるのだろうか。
窓口担当者は現物を見ていないので説明できないのである。
後日連絡してくれることになったが、ここ10年余りに同社のPCを個人目的で7台も購入しているファンに対して、はたしてどのような回答が届くだろうか。
いずれにせよ不愉快な感覚が残った。
20日は大事な試験が控えているし、試験後は大野先生と学位論文のゼミを約束している。
今週は連日厄介な問題に翻弄されている風さんである。やれやれ。
2月19日(金)「受験に対して不安・・・の風さん」
三寒四温、だんだん春らしくなってきた。昨日は日付を3月にしてしまったので、今日は修正したが、ボケた頭はもう3月の春になっている。
打ち合わせの合間に明日のCPEMEの試験勉強をした。
勉強をしている間は、新しい知識が得られてハッピーだが、試験の時まで覚えているかが問題で、私の頭脳はほとんどが揮発性メモリらしく、どんどん消えていく(笑)。
結局、定時後まで頑張ったが、不安は大きい。
帰宅してからも、当然勉強しなければならないのだが、明日は試験後ゼミもあるので、学位論文のリファインもしておかなければならない。今夜は、目次にページをつけた。これが意外と手間取って、終わったのが11時近かった。
それからやっと受験勉強である。
徹夜して試験に臨むのはきわめて危険なので、午前2時に就寝した。
あ、そういえば、今日はパソコンの修理の件で電話がなかった。
2月20日(土)「CPEMEに合格!! ・・・の風さん」
天気は良かったが、ワイフが駅まで送ってくれた。
名古屋まで電車の中で必死に勉強した。
試験は10時45分からである。PCと1対1である。90分で60問に回答しなければならない。問題はケーススタディの形をとっていて、「あなたは○△会社の生産技術部長である。……」会社の置かれた状況の中で、グローバル展開や開発期間の大幅短縮という課題に対して、上級管理者としての判断が問われるのだ。
合否がかかってなければ、また制限時間がなければ、けっこう面白い問題なのだが、ボケた頭にはかなりつらいものがある。
「先ず打つべき手は次のどれか」「最も優先順位の低いのはどれか」「ふさわしくない手段を2つ選べ」迷ってしまう問題が多い。
60問終えて残った時間は2分ちょっとしかなかった。振り返っている余裕はほとんどなかった。すべて一発勝負だった。
終了ボタンを押して受付へ行くと、印刷された結果シートをすぐ渡された。しかも事務的に。
「合格」だった!
正答率65%の合格ラインに対して、私は78%だった。決して自慢できる結果ではないが、卑下するレベルでもないだろう。とにかく目的は達したのだ。
昼食後、大野先生と学位論文のゼミをやった。
そこへ、パソコンの修理の件で電話がかかってきた。まさにパソコンが壊れた現場にかかってきたのだ。因縁かもしれない。
亀裂は内部にあった。それが生じた原因の説明があいまいで納得できなかった。メカニズムを教えて欲しいと言って、再度、電話をもらうことにしたが、きっと説明はできないだろう。あとは、どうやって幕を引くかだ。
研究費で購入した書籍をどっさり抱えて帰宅した。
肩の重荷がだいぶ楽になったが、油断はできない。
2月21日(日)「今年も梅が咲いた・・・の風さん」
バンクーバーで冬季オリンピックが開催されている。テレビとほとんど縁が切れて30年以上になり、そういうことに関心が薄れている。これを俗世間から遊離していると言うのだろうか。
学位論文を筆頭に重要な課題を抱えている中、あれこれとやらねばならないことがある。主に人付き合いに関することで、人生を一生のテーマにする私はやはり人との出会いとお付き合いを大切にしたい。
今日は、春を通り越して初夏のような日差しが降り注いでいる。ウキウキ気分で買い物に出かけた。
以前から探していた和菓子屋さんを、やっとネットで発見した。たまたまある方へ拙著をお送りする約束をしていて、それにちなんだお菓子がその和菓子屋さんで売られているので、一緒に送ろうと思ったのである。
その店をナビにセットして行ってみると、立派な店舗にたどり着いた。観光地の銘菓の一つなので、繁盛しているようだ。店内に入ると、目的のお菓子以外にも種類がたくさんある。迷った挙句、詰め合わせを選んでから、拙著と一緒に送ってもらえるか確かめるとOKとのこと。手間が省けて助かった〜。
絶好のドライブ日和だったので、少し足を伸ばし、大阪以来のお好み焼きのランチを食べてから帰宅した。高ストレスの日々を過ごしている私にとって、短いながらも気持ちがのびのびした時間を過ごすことができた。
サンルームからガラス越しに見える庭の梅が、和菓子のように美味しそうな色でたくさん咲いていた。
2月22日(月)「貧乏の証明・・・の風さん」
会社勤務をしているせいもあるが、デスクダイアリを利用している。小さな手帳では書ききれないので、やや大きめなこの帳面を、備忘録として、やること、やったこと、覚書など書きまくってある。もちろん日程計画もだ。忙しい現代人には必須のアイテムだろう。
ということで、会社に着くなり、仕事と仕事の合間に、こういった備忘録に基づく実行計画もしゃかしゃかとこなしていくことになる。
今週の大きな課題の一つに、学位論文の製本というのがある。来週早々には最終の形にする予定なので、すぐに製本化しなければならない。この課題でネックになっているのが、費用である。世の中の経済不況と同期するかのように貧乏になってしまった私としては、ふんだんに財力を投入することができない。これでは、江戸っ子の名折れか。
いつも個人名刺を依頼している某印刷所に「学位論文の製本も頼めますか?」とケータイで聞いたら、「そのような技術はございません」とのことだった。
今週の軍資金をおろしCD機で通帳記入したら、「貸越利息」という見慣れぬ文字が打ち出されていた。
何のことか分からず調べてみると、銀行から借りたお金に対する利息だった。
(ええっ? 銀行に借金? 何かの間違いでは?)
胸に手を当ててよく考えてみると、昨年、普通預金の通帳が一瞬残高「0」になったのだ。あのとき私は、銀行に借金ができたのである。
貧乏でも学位論文の製本はやらなければならない。国会図書館に収蔵されるのである。
2月23日(火)「アプリルの故障原因は闇の中へ・・・の風さん」
学位論文の製本化は、勤務先から分社化されたグループ会社に依頼する方向で進めることにした。
本社に出張したついでに、見本も見せてしっかり打ち合わせをした。
希望予算内ではやってくれるだろうが、どれだけ下回るか、だ。
とにかくひと安心して次の出張先へ向かったら、目的地でケータイが着信音を鳴らした。
アプリルの修理を依頼していたカスタマーセンターからの3度目の連絡だった。
この電話で決着をつける覚悟を決めていたので、深呼吸してから電話に出た。
案の定、先方の説明は期待外れだった。今回の故障が起きる原因(裏返すと、再発防止のためにユーザーが気をつけるべき事柄)は説明できないという。外観上、何の損傷もないのに、内部の部品に亀裂が生じる。手品みたいな現象だが、手品にもすべて仕掛けはあるのだ。専門メーカーとしてそれが説明できないとは情けない。
しかし、いちおうユーザーの不満を伝えて、覚悟の有料修理を依頼した。ビックリ仰天金額だった。
帰りに大型電気店で、CDケースの50個まとめ買いをした。学位論文をCDにも入れて配る予定である。
帰宅したら、若桜木虔さんから新刊『新TOEIC TEST「英文速読」驚異の勉強術』(青春出版社)が届いていた。
コンパクトでなかなかきれいなデザインの本だ。
今年のチャレンジテーマの一つ、「TOEICで900点!」を掲げているので、わざわざ送ってもらったのである。目標達成のためにはあらゆる手段を試す。それが私のやり方である。
2月24日(水)「ホットな1日・・・の風さん」
朝刊を見ると、日中の予想最高気温が19℃だった。
グループ会社に頼もうとしていた学位論文の製本だが、価格面で社外との競争力がないことが判明したので、中止することにした。やれやれ。
ホットな1日を過ごし、灯油を購入して帰宅したが、灯油の購入ペースは来週から半減させよう。
自宅に着くと真っ暗だった。
次女は東京へ受験に出かけていて不在である。長男の部屋も真っ暗なので出かけているらしい。ワイフはいつものようにいない(どういうこっちゃ)。
夕闇の中に沈んでいる我が家を立ち上げねばならない。
はかったように宅配便がやって来た。外でサインして受け取った。ネット座談会に参加した『時代小説を書く』(雷鳥社)の見本である。うれしい。続けて、郵便屋さんも来た。簡易書留の配達だった。
屋内の電灯をつけていると、飼い猫のペコがうるさくまとわりつく。夕方のおやつ「にぼし」が欲しいのである。メタボ気味なので、少なめに与えた。すると、いつもは残す頭や尻尾までたいらげるから飼い主は油断できない。
書斎に入ったら、カーペットの上で、昨夜よろよろと出てきた黒いクモが死んでいた。我が家の指定保護動物の一つなので、冥福を祈った。
すっかり家が家らしく立ち上がったころ、ワイフが帰って来た。
今夜も最大の課題は学位論文の仕上げだ。
遅い夕食の準備が整った頃、階下へ降りたら、ペコが石油温風ヒーターの上でのうのうと寝そべっていた。
帰宅したワイフが「にぼし」を上げたという!
二人から「にぼし」をもらったペコは、ますます豚のように肥えていく。
2月25日(木)「次女もお疲れ様・・・の風さん」
久しぶりに電車出勤するので、いつもより1時間早く起床した。
ワイフは早朝からゴミ出しなので、どうも生活のリズムが合わない。
早起きすると頭痛がする。いつものことだ。しかし、穏やかな陽気の中を歩いて駅へ向かうのは気持ちいい。
会社へ着くまで、いくらか読書もできた。
午前中、会社に出入りしている外部の印刷業者に、学位論文の製本の相談をしてみた。製本は特殊作業なのでできないだけでなく、少ない部数の印刷は割高になると教えてもらっただけだった。
昼休みにケータイでメールチェックすると、2年後の中学校3年生の数学の教科書に『円周率を計算した男』が紹介されるという連絡が入っていた。ゆとり教育の見直しで、和算がトピックスとして取り上げられるのはよいことだ。
定時になって退社し、バスと電車を乗り継いで名古屋へ向かった。
今夜は、学位論文の計算を献身的に手伝ってくれた同僚への、感謝の一杯会なのである。
大野先生にも同席してもらい、また本社から助っ人も呼んで盛り上げ役をお願いした。
定番のホテルのレストランのディナーブッフェで、今回はスペインフェアだった。
制限の2時間を大幅にこえる3時間も居座って、たらふく飲んで食べたが、話題は尽きずたいへんな盛り上がりようで、主催者としては満足した。
帰宅したら、受験を終えた次女が東京から帰ってきて、もう就寝していた。
同じ油絵科を受験した学生は1600人を数えたという。定員55人を目指す1600人が一斉にキャンバスに向かっている様は想像を絶する。
ま、とにかく「お疲れ様」。
2月26日(金)「製本業者も決まったし・・・の風さん」
修理されたアプリルが届いた。どうせ部品を交換しただけだろう。高額の修理費がとにかく痛かった。
拙著『円周率を計算した男』は、これまで高校や大学の入試問題に使われたことがある。数学じゃないよ。国語の長文読解問題だ。きちんとした文学作品だから問題も作りやすいのだ。
平成24年度の中三の教科書に使われるという連絡が出版社に入った。そそっかしい私は、文章がそのまま使われるのかと思ったら、そうではなかった。出版からの連絡ファックスによる、参考図書として紹介されているだけだった。出版社としては歓迎だろうが、想いを込めて書いている著者としては、やはり買ってもらうしかないので、ちょっと残念。
今週は製本業者探しに時間を食ったが、とりあえず確定した。いよいよ学位論文も大詰めだ。
夜、同僚へメールしたら、プレゼントしたビール券で焼酎を買って飲んでいるとのこと。
2月27日(土)「マルチ人間にもつらい週末、月末・・・の風さん」
アプリルが戻ったので今日は持っていける。とにかく学位論文を前進させなければならないので、またまた半徹夜状態でゼミの準備をしていたが、ギリギリになってしまった。それでも、現時点の内容でプリントしたら、カバンが重くなってしまったので、アシュレイを持参するのはやめにした。
連載の締め切りも迫っているので、行きの電車内で資料読みをしていたら、疲れてだんだん眠くなってきた。名古屋に近付く頃に爆睡してしまい、あっと思って目が覚めたら知らない駅に着いていた。
ドアが閉まる寸前に飛び降りて、反対ホームから電車に乗ったが、名古屋まで4駅もあった(笑)。
ゼミには20分遅れた。夕方までしっかり論文の見直しをしてもらった。ありがたい。しかし、すぐに修正には着手できない。その前にやることがある。それで、製本業者へのデータ送付も火曜日の朝まで、と余裕をとっておいたのだ。
帰りの電車でも連載原稿のための資料読みをした。
夕食後、来月20日の某研究会で配布される資料のための依頼原稿に取り組んだ。1週間くらい前からネタを仕込んでいたのだが、1年前に某誌に書いた原稿が頭をよぎる。今度の研究会にはピッタリの内容だからだ。結局、昨日まで準備してきた原稿はプールしておき、昨年の原稿に手を入れることにした。作者が同一人物だから問題にはならないだろう(笑)。
文体を変え、内容を充実させて、深夜に完成したので、電子メール添付で送付した。
先ずは1件完了。
2月28日(日)「今月も連載原稿締め切り厳守・・・の風さん」
連載の締め切り日である。1年で最も早くやってくる月末締め切りだ。2月だから。
資料読みは終了していないが、やらねばならぬ。早く終われば学位論文にも着手できる。
朝から連載原稿に取り組んだ。迷っているヒマはないので、とにかく書き進める。
急げ、急げ、と胸の内では連呼しているのだが、文章を作るというのは実は大変な作業である。
それと、連載には毎回3枚の写真や図や表が必要である。それも決めなければならない。同時並行で画像の選定もしながら、原稿を書く。今回は、2枚をそれぞれ専門の施設に使用許可申請することにした。ま、時間があるから何とかなる。
朝は何とか午後3時まで、昼過ぎには夕方まで、夕方近くには晩飯までに完成させたい、と思って頑張ったが、最後は、今日中に完成させようと諦めた。
夜、五大路子さんから電話があり、少し話ができたので元気が出た。3日の夕方のテレビに出演するとのこと。ビデオ録画で観ようと思う。
結局、午前1時過ぎまでかかってしまった。
やや乱雑な文章ではあるが、とにかく仮の画像データと一緒に送信した。
これで2件目完了。あとは学位論文の製本用データつまり最終版の完成だ。
2010年3月はここ
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